2007/10/07

SASA

久し振りの更新です。

最近は時間がある分、とても自分と向き合う時間が多く、
沢山の事を丁寧に考えています。

自分の環境、才能、把握、知識、勇気、
客観的に色々考えた挙句、結局同じ所に戻り
より深く丁寧に考え事をしてしまいます。

考え過ぎて何故自分は生まれて来たのか、
何故ここにいるのか、何故何故何故・・・
いつもの癖で「なぜ?なんで?」と
色々な物事に疑問を持って考え始めて
抜け出せなくなります。
それでも時間があるので考え続けます。

結局考える事に疲れても他の事を考えます。
考える事の休憩には結局はまた別の考え事。

今もずっと目の前に置いてある楽譜の
何番の何小節目の苦手な所はどうしたら吹けるか
指はどうしたら息はどうしたらあーだこーだと
結局はまたそんな事考えてしまい、
休憩が終って頭を前の考え事に戻しても
今後の音楽あーだこーだ考えてしまいます。
年を取った証拠です。
若い頃は考えると同時に行動を起こしてた自分、
でも今は考える事に時間を費やして
なかなか行動出来ない自分。
ただ勇気が無いだけかもしれないけれど
多分自分のしたい事を続ける為の努力は
こうする、と決めた以上は頑張れると思いますが
その自分のしたい事によって失う物もとても沢山あり
臆病になってぶつかりきれません。

自分が年を取るにつれて両親も同じだけ年を重ねています。
いつまでも子供ではあるけれど大人になった子供として
色々責任もあります。親不孝ばかりで親孝行出来た事がなく
いつも心配や迷惑をかけ続けています。
申し訳なさで楽器を手にする事が怖くなる日もあります。
出て来た日を思い出す度に、あの時の自分に負けちゃだめだと
当時の自分に励まされます。

音楽をやりたい、とは言え結果を残さない限り
そしてなかなかステージの上に居る姿しか
観客には理解されない厳しい世界です。
時にはその過程で
どれだけ頑張ったかどれだけやったかが
大切だ、という方も居ますが、
実際にはそこを見てくれる人はとても希少で
スポットライトが当たってる空間のみを観られる事が多い。
有名な音楽家、そして俳優や女優で
波乱万丈では無い人は観たこと聴いた事がありません。
プライヴェートや見えない部分で
苦しんで自分に落ち込んだり励ましたり
戦ったり泣いたり怒ったり悩んだりで
人前では夢や希望を与え続けられた人ほど
本当はとても苦しんでいると思います。
だからこそ輝かしいステージを
魅せれるのかもしれませんが
楽屋で部屋で声を殺して泣いてる姿、想像出来ます。
そう思えば自分の環境はとても有難いと思います。
本音を言えばもっと勉強してもっと練習してもっと追求したい、
けれど現実的に時間も財力も足りない部分が多く
それを補う為に使う時間と体力を考えると
結局はどれもうまくいかないまま時間が過ぎて行くと。
とても弱い言葉ですが何度も経験済みで、自分の弱さかもしれません。
なんとかしたいと思って時間を削って努力した事がありましたが
結局体に負担が来て、心にも負担が来て苦しい季節がありました。
なぜ、音楽を続けたいという夢はこんなにも
私を一人ぼっちにするんだろう。
それでも捨てれない夢とは、一体何なんだろう。
そしてどうして楽器を持てば持つだけ、
演奏すればするだけ、涙が止まらないのだろう。
でも結局は演奏出来る幸せや私の演奏を聴いてくれるお客、
そして信頼して着いてきてくれる生徒達、仲間、そして
応援してくれる両親、家族。
全てに応えなくてはと思えば思うほどプレッシャーも大きく
そのプレッシャーに押しつぶされそうになる事もあれば
勇気を貰うこともあり苦しい事もあれば嬉しい事もあり。
頭の中の数人の自分がいつも語り合って時には怒鳴りあって
時には慰めあって時にはライバル視あって戦いあって。

そんな事を毎日考えて居て、やっと今日気が付きました。
目標が定まってなかった自分に気が付きました。
莫大としたどうしてもこれは譲れないという夢や
自分の音楽に対しての想いは誰に何を言われても崩れない
大切な物があると確信していますが
とてもそれを現実にする為に焦っている自分に気が付きました。
もちろん焦らないと間に合わない位の年齢にある事は事実ですが
思い出せば楽器を毎日持ち歩いて居た学生の頃、
遅刻してしまっても絶対に走らなかった自分を思い出しました。
遅刻自体が今の自分の年齢なのかもしれません。
走って時間に間に合っても楽器の調整が崩れたら大変な事。
なら怒られても楽器の安全を考えてゆっくり歩こうとしていました。
それはもう幾度となく怒られる事もありましたが(笑)、
それでも何を置いても大事な物だったのです。
今もこうして遅刻している自分、それでも大事な物の為に
歩こうと思います。走らないよ。
きっと私は、世の女性が言う社会的な幸せは少し遠いかもしれません。
でも自分一人よがりの想いではきっと幸せになれる気がします。
でも、家族を想うと申し訳なさに苦しくなったりします。
あの時からもう、帰れる場所はどこにもなくて
自分で前を見て歩くしか無いってきっと分かってたはずなんだけど
気が付いてしまうと、少しだけ、時々
振り向きたくなってしまったりもします。

いつも見えなくなるまでおばあちゃんは
手を振り続けてくれます。
近くに居て上げれなくて、ほんと、ごめんな。