2011/05/11

訃報

2011年5月9日。

一人でカフェで寛いでいた後、
友達が食事をしようと誘ってくれて
街をプラプラ歩いていた処、
久し振りな方から電話が鳴りました。
久し振りで嬉しかったその電話は、
一瞬で哀しい知らせだと判りました。

とても優しく、爽やかで、素敵な友達が
亡くなっていたとの知らせでした。

久し振りの電話で、笑顔でルンルンで
話していた自分の身体の中で、
全身が、凍る感覚を感じました。

古い友達を中心に、フットサルチームを
やっていて、私は運動不得意ですが、そこでは
マネージャーとして顔を出していました。

ピラニア曾って名前。
呑んでいて「ピラニアって強そうだね」って誰かの発言で
その弱そうな名前に決定しました。

サルが2時間に対して打上げ呑み会が10時間とか。
本業ミュージシャンやアーティスト、
クリエィターの多いそのチームは、
多才で素敵な人の集まりで、ただの休日の
趣味でのチームを越えて大切な存在も沢山。

プライヴェートでも、仕事でも御一緒したり、
なんとなく集まって話してる間に色々アイディア浮かんだり。

居心地の良い場所でした。

でも、私個人がここ1・2年はなかなか皆と逢う事も少なく
それでも時々はメンバーで時々逢ったり呑んだりする処に
顔をだしたり、誰かが結婚するとなれば団結して最高な
パーティを企画したり・・・。

その中のメンバーでした。
彼は眼鏡のデザイナーさんでもあり、バンドマンでもあり、
言葉が合っているかどうか判りませんが、
ピラニアメンバーの中でも最も人畜無害で。
とにかく優しくて爽やかで笑顔を絶やさない人でした。

メンバーの中で同級生が少なかった(皆年上で)ので
話も良くしてたし、彼の結婚式も皆でパーティ全て企画して
趣味枠を越えての大切な友達でもありました。

最後にお逢いした時の事が、思い出せなくて。。。
覚えているけど、会話を思い出せなくて。。。

御遺体が安置されてるという警察署へ22時ごろ駆けつけ
メンバーにはその前にひたすら連絡をし、
私が駆けつけた時には既にもう沢山皆が集まっていて。

奥さんだったYちゃんの気丈さが、
逆に思い掛けない事実を現実に感じてしまって。

その後は朝まで続々と皆がそれぞれ集まり、
タクシーや新幹線でまで、駆けつけて。
夜は夜通し、彼を想って皆で思い出話をしながら
哀しいお酒を呑み続けました。


独り暮らしの自宅で独りで永遠の眠りに。
数日、そのままそこで独りで。


その後も色々思い掛けない訃報の後は
たった一日の出来事があまりに長く、
そしてつい昨日のことなのに、
もっと時間が経った気もしています。


トモ君。
いつもありがとう。
居てくれるだけで、その場の空気が
柔らかくなり、優しくなり、爽やかになりました。


なんとなく、もう逢えない気がしないんだけれど
ひょっこりいつもみたいにオシャレなハットかぶって
久し振りです!って暖簾をくぐったら座ってそうだけど
同い年なのに敬語使わないでよって、また言えそうだけど
「もっと食べなよ、やせすぎだよ」って言えそうだけど


死んじゃうのはないよ。

よりによってどうしてトモ君なんだろう。
どうして神様はあんな素敵な人を、独りにして
苦しめたんだろう。どうして彼だったんだろう。

神様って、残酷過ぎる。
一体何の為の試練を残された私達に与えたいのか。
・・・哀しみと悔しさのぶつけどころが、わからない。


近くで、いつもきっとみていてくれるよね。
きっと私がいつかそこに行くとき、きっとまた、
「久し振りです!!」って手の平みせて
あの笑顔で、迎えてくれるね。

そう想いたいけれど、わかってる。
もう、二度と逢えない。


逢えるけど逢わない事と、
逢いたいのに逢えない事の違い。


逢える雛には、逢いたいと想って逢える人には
沢山逢いたい。自分の人生分、沢山逢いたい。
逢いたい。








トモ君。
元気でね。