2008/09/02

H

若い頃、ある人に誘われて、お寺の境内で演奏会をした事がある。
声をかけられた時は、曲目について以上に引き受けるべきか否か非常に悩んだ。
私は無知で、そして若さ故に、その場所、その空間の重々威圧の
圧倒的なプレッシャーに、練習すらままならず、曲目も決まらず、時間がある時は
近くの寺院や神社を参拝しては、自分がどう溶け込めるか、探って歩いたり、
それぞれの歴史について熟読するまま、時間ばかりが過ぎて
もう来週には本番を迎えそうになってしまった事があった。
一度目のミーティングの後にその寺院へ一人で訪れた際は、ただあまりの壮大さと
私の意見など響くわけも無いだろう長い長い時間を感じる柱を触って恐れて
ひとっきりただ圧倒されて気がつけば自宅の隅にうずくくまって居た事を思い出す。

既に日時が迫った頃、自分の中で何も消化出来ずに居たので、改めて
寺院に出向いた。そこで外にいた僧侶に声をかけ、今回の演奏会に出演する事と
でもそのプレッシャーに潰されそうである事を、素直に話した。
すべて私の心の声を吐き出すまで聞いてくれた彼は、その後寺院の中へ招いてくれて
普段であれば参拝者は簡単にみる事が出来ない奥の部屋にある仏像を見せてくれた。

金色に光り輝く美しい物、ではなく、木彫りで思った以上に小さくて古ぼけて
でもその仏像のオーラと笑顔は、今にも動き出そうに暖かくて優しくて目がとまった。
たぶん、私の事だから、泣いていたと思う。

その後、座禅を組ませてもらい、結構な回数叩かれて、なんだかすっきりしてお茶を頂き
自宅へ帰る電車の中では、様々な曲、旋律が思い浮かんで、その日から本番まで
夢中で練習して、そして当日を無事、過ごせた事があった。



私は、毎週毎週ライブや演奏会を抱える事はなかなかできない。
忙しい季節は、どうしてもやらざるおえないが、正直、難しい。ほぼ翌日には熱を出す。
なので、周りで音楽活動をしている知人を見ると本当に尊敬して、凄いと思う。
1本の本番でさえ、むしろたった一曲でさえ、あんなにパワーを使うのに。
一曲演奏し終わった後、頭の中が真っ白で、立ち尽くす事すら難しいのに。
もし器用に「こなす」方法を覚える事が出来たら、もっと活動しやすいかもしらない。
確かに「こなしてる」と思わざるおえない事もある。でも、正直、そういう時、
吹けば吹くほど、空しくて苦しくて切なくて、自分の存在、自信をなくしそうになる。
いまだに、自分で自分が納得出来た演奏は一度も無いし、殆どどんなシチュェィションでも
自分の中では、落ち込みと、情けなさが一番残る。レッスンでも毎回、電車で涙ぐむ。
褒めてくれる人に、とても申し訳なくなる事もある。もっと出来たら良いのに。もっともっと。。

古い友達に音楽やってて教えと演奏やれてていいねぇ、と、ふと言われた事がある。
今日は何してる?と聞かれて「リハーサル」と答えた時に「楽でいいねぇ」と言われた事がある。
その一言で、哀しくて哀しくて哀しい音しか出ない事もある。
よっぽど9時間立ちっぱなしで、お客の重い荷物全てを客室に入れておくアルバイトの方が
たった1時間のリハーサルより、2時間のレッスンよりも遥かに、自分にとっては簡単で。
体力的にも、精神的にも、自分にとってはよっぽど簡単で。
もちろんそのアルバイトの仕事も、とても大切で遣り甲斐がある仕事で、尊志している。

けれど、なんとなく、どんな想いで未だに音楽と向き合おうとしているか、
せめてこれを読んでくれているのは、私の知ってる大事な人だけだと思うから。
未だに納得いかずに、自信が無いまま、楽器を持つ自分でいて、申し訳ないなと思って。
そんな演奏を、そんな自分を応援してくれる人がいる事に、本当に感謝してます。


冒頭に書いた「寺院」での演奏では、私は教会音楽を演奏しました。
他の曲も数曲入れたけれど、当時の自分は、バロック時代の音楽に夢中で研究していた時期。
しかし宗教的には、キリスト教の音楽ばかりを、仏教の厳かな寺院で演奏してきました。
それまでは、依頼も全て受け取って「こなす」演奏気味になっていた自分を
根底から自分を見つめなおさせてくれた大事な本番で、もしかしたら、今のところ
「やった!」と納得出来た、唯一の本番だったかもしれません。
吐き気と胃痛に悩まされるほど、頑張ったあの本番、気持ちよかったなぁ。



沖縄で「首里城」でオペラをする企画がある事を知りました。
昨年から話題にはなっていたみたいですが。
私は、今も昔も無知なので何も分かってないのかもしれないけれど、
その企画、軽い気持ちでは絶対に出来ないし、難しいと正直思う。
大変な企画をやってるなぁと、驚いた。
色々驚いた中でも何故「魔笛」なのかは未だに理解できない部分ではあり、
もっとその企画に合う演目があるに違いないとは思うけれど、でも
そこで「魔笛」になったのはなんとなく理解できたりもする。
私も、演奏する際、本音を言えばたくさん演奏したい良い曲がある。
けれどオーディエンスが知らない曲を沢山並べてもなかなか響かなく
皆が知ってる曲を時に演奏する事で、皆に響くことがある。
自分(演奏家)視点で考えてるあーたらこーたらというのは、実は
お客にはそれほど興味は無く、お客個々の心に響くかどうかの方が
演奏家としては、大切な事なのかもしれない。
他にも「首里城」という聖地を舞台にするにあたり、いろいろな問題は
あるだろうなと想像するけれど・・・やるからには成功してほしいなぁと、とても思う。

私も古臭い考えの人間なので、自分の枠から飛び出すのは怖い。
けれど枠から飛び出したからと言って、自分そのものが変わるとも思わない。
頑固で芯を保ち、自分が自分であれば、どんなチャレンジでもしてみたい。
どんな場所でどんな事してても、翌日には我が家で自分らしく愛猫と
自分の生活に戻せる自信があるから、いろいろやってみるもんだ。
やらなきゃ、何もはじまらない。やめたら、何も終われない。


すみません、ただ思いついた事を打ちまくった日記でした。
無知で無力な自分に、一人でビール一本でも、乾杯しようかな。

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