2007/08/20

concert







昨日は丸ビルでクールブリーズコンサートに出演しました。
いつも仲良しのピアニスト、Ayumiと一緒に。
つい練習の時も、楽しくて普段通りに音楽抜きでキャッキャ遊んでしまうのですが
今回も私がなかなか曲が決められず、結局当日に決めてる感じで
バタバタでしたが、なんとか成功しました。嬉しかったです。

衣装も先日ママからプレゼントしてもらったドレス。
嬉しかったぁ!衣装どうしようか悩んでいましたが
ステキなドレスを頂き、それを着てパワーでました。

本番までは実はとても体調不良で、注射を打ってもらい、
必死で荷物を運びながら、地下鉄を乗り継いで冷汗をかきながら
なんとか丸ビルに着いたのですが、いざステージを下見して
何かスイッチが入り、痛みや練習不足の不安が吹っ飛び
無心で演奏が出来ました。

ロビーホールでの演奏だったので
最初は疎らだった観客の方々も、気が付けばどんどん増えて
最後の曲では、本当に沢山の方が足を止めて演奏に聞き入ってくださり、
なによりも、ああいう場所なのに、皆息を止めてる様に静かに聴いてくださりました。

人前で演奏出来る喜び、そして楽器を与えてくれた両親、
聴いてくださった皆様へ、息を吸うたびに、感謝でいっぱいで
ラストの曲では涙を流して演奏してしまいました。
本当に、幸せです。ありがとうございました。

本番後、お客様に声をかけていただきました。
その中で、演奏中、その前の練習の際、どうやっているかなど
質問され、その時にお伝えした事を詳しくブログにも書こうと思います。

私が心かけて居ることは、
音楽を演奏する時に、「無心になる」
無心になって、ただ音に集中すること。
一瞬でも気が散ると、途端に音に現れてしまいます。

無心に、大事に、とにかく丁寧に演奏する事を、ずっと心がけています。
そして、もう一つ大事にしている事があります。
それは、「喜びを分ち合う事」
これが難しい。
何故なら、自分一人よがりの演奏ではまず不可能です。

自信はどれだけやったか、が自信になると信じています。
才能がある人、無い人など音楽には無いと思います。

そしてどれだけ「自分を信じる」か。

環境はとても影響があると思います。
自分が本当にやりたくてもそれが出来ない現実。仕事や家計。
でも、それを理由に自分のやりたい事を出来ないと言ってしまうのは
結局、自分に甘いと思います。

時間が無いなら無いなりに、限られた時間でどれだけ出来るか、
そしてどれだけやれるか、そしてそれを行動にうつすか。
10時間、ただ時間を潰すかの如く曲をひたすらリプレーする位なら
たった1度、息や体の状態や指の関節や脈まで意識しながら
1度曲を通す方がよっぽど効果的だと思っています。
むしろ、私は基礎練習に貴重な時間を使っています。

曲を演奏する以前に、私は普段の私生活の中で
指の動き、筋肉の動き、息のメカニズム等を意識して生活しています。
例えば、お風呂の中では湯船の中で波を立てずにまっすぐに息を飛ばして
先に置いたキャンドルの火を消す練習をしたりします。(炎の動きも確認しつつ)
ピアニシモ、ピアニシシシシモ等の小さな繊細な音を出す時を意識します。
例えば睡眠前、ベッドに横になったら腹式呼吸をして
全身に息が入る様な感覚を意識して、肺活量を低下させないようにしています。
テレビを見ながらも、指のストレッチをしたり、電車の中ではつま先立ちで
腹式呼吸をしていたり・・・もう勝手に癖になっているので
他にもきっと近くにいたら、何気に色々していると思います。

音楽を、楽器を手にしていない時も、演奏家である事が大事です。
自分に厳しく居る、それは忘れてしまう事もあります。。。
しかしすぐに気が付きます。何故なら必ず失敗するから。
自分に厳しくするという事は、とても自分を愛する事だと思います。
時に私も、人間なのでとても自分に甘くなります。
体調が悪いから練習出来ない、眠いから曲を読まない、
面倒だから、楽器の手入れは後にしようとか・・・。
でも、結局後でその積み重ねが、哀しい本番を迎える事を知っています。
その場限りのつくろいの演奏をしてしまったりします。
それ程、感動もなく寂しく、なによりもお客に申し訳ない演奏はありません。
自分を甘やかすと、自分が成長していかないのも、事実です。
常に、勉強して行きたいと思えば、自然と厳しくなるはずです。

(でも私生活では、とても自分に甘いですょ。。。
 音楽に関しては、それなりに厳しいと思いますが)

そして、最後は信じる事。
自分を信じなければ、人前で演奏なんて出来ません。とても申し訳ない事です。
自分を信じられない人が演奏している演奏に、感動してくれるはずないですよね。
信じると言うのは、「絶対出来る!大成功する!」という事を信じるのではなく、
自分の想い、伝えたい想い、出したい音、あらわしたい映像などを
自分で曲の一音一音に感じている事に対して、信じる事です。

良い演奏だったかどうかは、自分で一番良くわかるものです。
後の講評は、一つ一つ貴重なご意見ですが、全てをプラスにする方法を考えます。
誉められた講評ならば、もっと感動してもらえる方法、
注意を受けたなら、それをどう直して次の演奏で表現するか。
とにかくせいいっぱい、自分の今出せる全てを演奏する事が大事だと思います。

私生活の中で、あと私は、とても音を聴いています。
換気扇の音、鳥の鳴き声、自分の呼吸、エアコンの風の音、
蝉の鳴き声、風の音、冷蔵庫の音、足音、遠くで走る車の音など。
時々演奏するに当たり、その風の音や、遠くで鳴っている音を
表現したい時に、ふと思い出します。

あとは、映像。
自宅の窓から見た風景も、一日と同じ風景の日はありません。
同じ時間に見ても、天気や、植物の成長や、光や影が必ず違います。
友達に会っていても、一人で散歩していても、ふと写真を撮影した様に
その映像を頭に焼き付ける癖があります。

見るもの全てが、絵画にできますよね。
見えている物全てが、写真に収める事が出来ますよね。
その一瞬の一生で一度しか見れない物ばかり繰り返し毎日見ているわけです。
自然というか、時の流れというか、芸術は日々の中に沢山転がっています。

そんな事を考えています。
よく友達には、いつも何を考えているかわからない、といわれますが、
だいたいは、その一瞬に感動して覚えるために無心になっているか、
家族を思い出しているか、それだけだと思います。
ただ、昨日質問されて、こうして改めて考え直してみると、
音に関して、音楽に関して、結構常に無意識に考えているかもしれません。

多分私は、少し変人です。

一番安らぎをくれて、音楽から開放してくれて私を癒してくれる音は、
我家の猫のゴロゴロです。



そして、今日は友達の誕生日です。
happy birthday!!

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