2008/01/12

20th

今日は中学の恩師の教員20周年パーティに行ってきました。
お誘いをいただいた時は微妙に最近忙しくて時間を取るのが難しくて
非常に悩んだのですが、20周年パーティーは一度しか無いし、
中学時代からお会いしてなかったので、仕事午後キャンセルして行ってきました。

久しぶりにお会いした先生は全く変わらず、そして笑顔も健在で
お見かけした瞬間、目の奥が熱くなりました。
その後、同期の友達や先輩達と懐かしいお話を少ししつつ、
美味しいフレンチ頂きつつ、緊張していました。

なぜなら演奏をお願いされていたからです。

普段の演奏は本番前、それはそれで練習して頑張った分だけ緊張するのですが
今回の緊張はまた、いつもと違うものでした。
なぜなら先生が聴いているから。普段の観客とはまた違う緊張で
自分の出番になった瞬間、楽器を温める為に息を入れた瞬間、
心を決めて、演奏しました。
先生に感謝の気持ちを込めて、心の心から一音一音大事に。

はじめて演奏した曲で、実は恥ずかしながら曲の背景や情景を
知らない曲だったのですが(いろいろ事情があって直前まで曲が決めれず)
自分の気持ちを大事に込めて演奏しました。

演奏開始後、最初の音を出した時に会場がシーーンとし、気持ちが引き締まりました。
演奏を始めてこの瞬間に、私はいつも自分が自分で無いような感覚に陥ります。
とても冷静な自分が体の中から飛んでしまって、でも存在していて
冷静な自分が抜けた空の自分が音に揺さぶられて無心になり
そんな自分を冷静な自分がどこかで見ています。体が二つに分かれた感覚になります。

何かに吹かされてる自分を冷静な自分が見ながら、
曲の一番盛り上がる所で先生を見たら、満面の笑みで微笑んで聴いててくださり
その笑顔があんまりステキで感極まって演奏中に涙が出てしまい
こぼれないようにするのに精いっぱいでした。

会いたかった。
そして、やっと先生に、先生のおかげで今の自分がある事を伝える事が出来ました。

子供の頃、学校が大嫌いだった。
皆同じ格好して同じ事してみんな同じで。
みんな同じ事言ってみんな同じ目で見て全部同じに見えて。
教室の窓から見える背伸びした木に止まる鳥を見てるのが大好きで。
授業も教科書に書いてある事ばかりで、本読めばわかる事ばかりで。
自分ってどこにあるのかどこにいるのかいつも疑問でした。思春期ならではの。

でも部活は好きだったんです。
きっと楽器は本を読んでも上手になるわけでもないし、
やればやるだけ帰ってくるし、やらなければやらないだけ何もならないし
アンサンブルの中での自分の出す音が他のどこのパートと一緒かどうかとか
楽器の音をどうしたらもっと響かせられるかとか
楽に大きな音を出すにはどうすればいいのかとか
色々、追及すればするほど楽しくて、そして楽器はとても私に対して優しかった。
言葉で表現できない自分の想いを楽器で言うには、歌詞が無い楽器だけど
どうしたら歌詞が伝えられるかとか、考えていました。

先生は中学一年の時の顧問の先生で、先生の書く手書きの楽譜(スコア)も
とても精密でこんなの手でかけるのか!と衝撃を覚えたのも思い出しました。
ずいぶん楽譜の書き方、マネして練習したりしました。

でも1年生の時に先生は、ほかの学校へ行ってしまいました。
担任でもあり、顧問でもあり、あまり話したこと無かったけれど、学校に居て
安心できる存在だった先生が居なくなってしまって残されたのが楽器だけ。

だから楽器、夢中で練習しました。
その延長で、今に至ります。

もうひとり、私のそんな偏屈な性格を大事にしてくれて
音楽をもっと勉強できるように、背中を押してくださった先生がいます。
中学三年の時の担任の中嶋先生。
中嶋先生も、私にとって遠藤先生と同じ、どんなに感謝しても
感謝しきれない偉大な存在の方で。
決して裏切れない。

きっと楽器を辞めた時、私は当時の空虚な周りに取り残されて
自信も信頼も安心も見つからずに怯える日々に舞い戻ると思います。
だから楽器を辞めれないのかもしれません。
自分を保てるものだから。

先生、本当におめでとうございます。
本当に、先生に会えて、良かった。

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