
impossible or i'm possible
[限界」
人生の局面、様々にあてはまる事ですが
その時、もう駄目だ、もうやめたい、苦しい、そう思う事もあるけれど
それで簡単に諦め折れてしまう人、またがんばったけれど結果的に
挫折してしまう人、他の理由を正当化してそこでも結果が出せない人、
様々ですが、結局道半ばにして自らの限界点を決めてしまうという事は
結局は勝者にもスペシャリストにもなれません。
もちろん人それぞれ器があり
どれだけ頑張っても結果が付いてこない場合もあるのも事実。
でも諦めたらそれは終わり。
自分で自分の限界を決める事は、ものすごく勇気がいる事だと思う。
そしてきちんとそれを潔く、後ろ髪引かれても断ち切って
自分が諦めた事を他人に押し付けたり他人の努力を貶したり
結局嫉妬せずに、心から潔く諦めて次の道に進むことが出来たら
それはとてもかっこいいと、尊敬出来る位な事でもある。
私は子供の頃から音楽か絵を書くか、そんなことばかりに
夢中になってきたから、それに関して辞めるとか諦めるとかの意識が無い。
当たり前にする事としてそこにいつも必ずあったから未だに
いつもそばにいてくれるから、そういう感情にぶち当たる事が無い。
結果を出しているかといえば、自分の中ではもっと出来たと欲張る部分は
沢山あるけれど、それなりに中途半端な兎よりゆっくりでも亀みたいには
少しづつ歴史を残せてきたと思う。それはたとえどんなに小さくても
期待された分より遥かに少なくても、自分にとって財産で誇りでもある。
なるべく心に湧き出る感情は、もし自分がやるならもっとやるのに、と
自分だったら、と比べて愚痴を言ったり文句を言ったりするけれど
自分には到底出来ない、と思う事に対しては、愚痴や反論をする事は
なんとなく大人になってからやめた。
若い頃は自分には到底出来ない事を成し遂げてる人に対しても、
ダサい、とかうざい、とかぜんぜんよくないとか
平気で言ってたちっぽけな自分が一番かっこ悪いと思った事があったから。
それはただの嫉妬で、そしてその近くまで上りあげて踏み潰す位な
モチベーションはそこには無くて、ただ、臆病な犬がキャンキャンしてた
だけみたいな自分だった。
私が尊く想っている人、大切な人数人からなんとなく
そんな「限界」の話になって、その様々な言い分には納得いく部分と
結局何もしてないで限界を感じたって事?という不信感?と、色々な
人それぞれの感情を聞くことが出来て色々それなりに色々想った。
never say neverな言葉を教えてくれた人こそ、その言葉の強さとは
違う生き方をしてきてしまっていた事に、落ち込んだ事、それでも今、
never say neverの言葉通り、諦めない守る事を持てたその人に、
心から本当にnever say neverであって欲しいと想った。
もう一人。
自分の限界を感じてると、話された事があった。
でもどうしてもその口から出てくるその言葉はただの言葉でしかなく
「自分を限りなく高めていくモチベーションが、今沸かない」と
かってに解釈した自分がいた。どうか周りに流されないで自分の意思で
自分の信じた事をまっすぐ見つめて立ち直って欲しい。
私に関して自分で一つ限界を弁えなければいけないと反省するのは
体力の限界。全く持って健康体ではない事がどこかでコンプレックスで
人よりも元気で大丈夫な振りをしては、壊す。
どうか強靭ですげぇ強い体を手に入れる事が出来たら、もっと自分は
精神面も強く、行動力も強くなれる気がする。
何があっても安定した動悸を続けられる位な、強い人間になりたい。
でも、他人には優しくありたい。
人に厳しい人は、自分にも厳しい人であって欲しい。信じられる。
人に厳しくて、自分に甘い人は、つめたい。